「旅するミシン店」のホームページにようこそ。/Welcome to Tabisurumishinten’s homepage.

「旅するミシン店」のホームページをご覧いただきありがとうございます。店長の植木ななせが描く動物イラストが入った製品をつくっています。製品は手づくりブックカバーをはじめ、布と紙の小物、書籍などがあります。店舗は東京都台東区谷中、朝倉彫塑館の並びにあります。

谷中店のオープン予定はこちらからご確認願います。

公式ツイッターはお店の情報を細かくお知らせいたしますので、ぜひフォローいただければと思います。商品情報・オープン予定もツイッターが速いです。FacebookページInstgramアカウントもありますので、ぜひご覧ください。

通販は旅するミシン店通販部をご覧ください。

皆さんとお会いできる日を楽しみにしています。

We are Tabisurumishinten, Book jacket and Illustrated items shop at Yanaka, Tokyo. Open at every weekend and Friday. Please see detail schedule at here.

English page: https://tabisurumishinten.com/?page_id=496
Facebook page: https://www.facebook.com/tabisurumishinten
Instgram: http://instagram.com/tabisurumishinten/

Please visit our shop, When you come to Yanaka area at weekend or Friday.

ご来店のお礼(1月12日・13日)と次回のオープン予告

12日と13日は晴天に恵まれ、谷中では街歩きの方を多く見かけました。

旅するミシン店の工房にも多くの方にご来店いただきました。

お忙しい中、ありがとうございました。

お客さんからいろんなご意見、アドバイスをいただき勉強になりました。

向上心を忘れずに、製作・販売を続けていきます。

次回のオープンは1月19日土曜日午前11時〜午後5時を予定しています。

開店に関する最新情報や新商品情報も旅するミシン店の公式アカウントでつぶやきます。フォローいただければ幸いです。

https://twitter.com/tabisurumishin

旅するミシン店の谷中工房の今後の課題は、在庫切れを起こさないよう商品ストックを増やすこと、商品のバリエーションを一つでも増やすことだと思っています。

これまで「プレ・オープン」と銘打ってきましたが、今後は「プレ」の字をとって「オープン」いたします。

今後とも日々改善を積み上げ、谷中に来られた老若男女の方々に来店していただける工房を目指します。「旅するミシン店」谷中工房を暖かくお見守りいただければ幸いです。

谷中「初音の道」の歴史

旅するミシン店の谷中工房が面してる道の歴史についてちょっと紹介したいと思います。

御殿坂交差点から見た初音の道の入り口。

日暮里駅北改札口から夕やけだんだん方向西へすすみ、経王寺や石材店が面する御殿坂の交差点を左折すると上野方面へ抜ける小道に入ります。途中には現在休館中の朝倉彫塑館、旅するミシン店の谷中工房、谷中七福神の寿老人を祭る長安寺があり、趣向あふれた幾つかのギャラリーを目にして、小道は都道452号線に合流して東京芸大至近のアートエリアである上野桜木に至ります。

初音の道の概要については以下のGoogle Mapのリンクをご覧ください。

http://goo.gl/maps/lk6wv

町会の世話役の方にもお伺いしたのですが、この道には正式な名称はついてないようです。谷根千を長らく紹介されてきた森まゆみさんの文章でも「朝倉彫塑館に面した通り」と書かれていたり、ある本には「七福神めぐりの道」とも書かれています。

管理人もいろんな文書を読んだのですが、日暮里駅構内の案内板から谷中歩きのブログ、交通関係の学会発表まで使われるようになっている「初音の道」という表現がしっくりくるのではと思っています。

初音の道は、江戸時代には徳川幕府の保護を受けた感応寺(現在の天王寺)の門前町を形成していました。そして谷中全体の歴史もこの感応寺と深い関わりがあります。

現在の天王寺。江戸時代は「感応寺(感應寺)」という名前でした。

感応寺は、鎌倉時代の元寇の時、日蓮上人が谷中村の武士邸に滞在した際に妊婦の安産を司ったことを縁起に建立されました。谷中村はその名の通り、上野の山(武蔵野台地)と本郷台地に挟まれた谷あいの農村でした。

江戸時代になり、鷹狩のために北行した将軍家光が立ち寄ったことをきっかけに、感応寺は将軍家の保護を受けるようになります。幕府から領地の寄贈を受け、約3万5000坪の領地を擁する、上野寛永寺にも並ぶ江戸有数の大寺院となっていきます。

感応寺が将軍家光の代に建てた五重塔は高さ約34メートルで、江戸随一の高さの建築物でした。戦後に高層ビルが立ち始めるまで、上野の山に立つ五重塔は特に下町側からよく見えていたということです。

在りし日の五重塔。上野寛永寺の五重塔よりも約2メートル高かった。

感応寺による土地開発に続き、江戸時代最大の火事である明暦の大火によって被害を受けた神田の寺院が感応寺周辺に多数移転してきたことにより、都内有数の寺町である谷中の基礎が形成されていきました。ちなみに現在谷中6丁目に「感応寺」というお寺が現存していますが、この感応寺は明暦の大火で神田から移転してきたお寺なので、「神田感応寺」とも呼ばれます。

天保時代に出版された「江戸名所図会」の挿絵より。絵上部に描かれた感応寺と下部にある長安寺にはさまれて、絵の左側から右下に伸びている道が現在の初音の道。(市古夏生・鈴木健一校訂「新訂 江戸名所図会5」より)

感応寺の門前町は感応寺や五重塔への参拝客で賑わい、商店だけでなく茶屋も数多く並んでいました。

当工房や朝倉彫塑館がある初音の道の北側は感応寺古門前町と名付けられ、谷中地区でも最初期に開発された町屋地区です。

現在谷中墓地から東側はJR線によって切り通されて崖状になっていますが、当時の上野の山はもっとなだらかな斜面になっていて、天王寺一帯は道灌山のある新堀(日暮里)と並んで景勝地として知られていました。

現在の「初音の道」の入り口にあたる御殿坂交差点付近の様子。右側(南方向)へ伸びる幅広の道が現在の初音の道にあたります。絵の右上には現在日暮里駅至近にある本行寺が見えます。

感応寺は元禄時代に江戸幕府の命令によって日蓮宗から天台宗への改宗を命じられ、名前も現名の天王寺になりました。

幕末期の戊辰戦争では天王寺が幕府側の彰義隊の屯営地になったため、天王寺だけでなく門前町も戦火に巻き込まれることになりました。戦後、天王寺は明治政府からは敵視され、上野寛永寺とともに広大な領地の大部分を敷地として召し上げられることになりました。そして、取り上げられた土地には谷中霊園が造成されました。

明治2年の1872年、天王寺の門前町一帯は谷中村の谷あいの地域とともに谷中初音町と名付けられました。工房が立地する古門前町は谷中初音町三丁目が割り当てられました。

初音という名は現在の谷中5丁目の山あい、霊梅院や長明寺がある一帯が「初音の森」と呼ばれていたことに由来しています。「初音」というのは年初に鶯(ウグイス)の初鳴きの声が聞こえるという意味です。初音谷中町の町名は1960年代の地名再編によってなくなりましたが、「初音」を冠したお店や施設が今でもたくさん残っています。

初音の名を冠した看板は初音の道界隈で随所に見られます。

この森は「鶯谷」とも呼ばれていました。JRの駅名にもある根岸地区の「鶯谷」は明治時代からの名前で、江戸時代は谷中一帯が鶯谷として知られていました。

寛永寺の収容地に東京美術学校が設置され、また谷中の西側の加賀上藩屋敷跡に東京大学も開学し、両地から近い新興住宅街でもあった谷中一帯は文化人が住む街ともなりました。

初音の道界隈に住んでいた文化人としては、「朝倉彫塑館」を残した彫刻の大家朝倉文夫、「五重塔」でも有名な小説家幸田露伴のほか、北原白秋も一時期居を構えていました。幕末末期に戻りますが、近代落語の完成者であり史上最高の噺家と称えられる初代三遊亭圓朝はデビュー期に沿道の長安寺に泊まり込みながら修行を続けていました。

江戸時代からの古刹である長安寺。谷中七福神で有名ですが、三遊亭圓朝ゆかりのお寺でもあります。

初音の道一帯は関東大震災では大きな被害は出ず、住民は焼け出された浅草地区の人たちに宿を提供しました。第二次世界大戦では谷中小学校や諏訪神社周辺で空襲の被害があったものの、地域の人の消火の努力によって被害は最小限に抑えられたそうです。

戦後の復興期になっても、行政による区画整理も行われず、静かな寺町として時間を紡いでいきました。しかし、残念ながら1958年に、戦争も生き抜いた天王寺の五重塔は心中事件の当事者によって放火され、焼失してしまいました。

初音の道沿道に長年住んでいる方にきくと、昭和までの初音の道沿いは、門前町の名残りで魚屋、酒屋、豆腐屋などの商店が軒を並べていたとのことです。高度成長からバブル時代を経て、商店の数は少なくなり、住宅地としての性質が強くなっていきました。しかし全体的には、初音の道界隈は低層で空が高い昔ながらの日本の街並みが維持されています。

初音の道の日暮里側入り口に付近にある吉川錻力店。昭和の面影をそのまま残す店構えを維持しています。

旅するミシン店の工房は、「寿し恵」(すしけい)さんという50年近く地元の方々に愛されてきたお寿司屋さんの跡に入居しています。旅するミシン店も「寿し恵」さんのようにお客様に愛され、地域に溶け込んでいければと思っています。

旅するミシン店谷中工房が入居する建物。扉の形状が以前お寿司店さんだった面影を残しています。

長くなりましたが、初音の道の歴史紹介はとりあえずここまでとさせていただきます。見聞の蓄積ができましたら、この記事をもとに独立ページを作ってみたいとも思っています。

最後に初音の道界隈を見るにあたって参考になるページをご紹介します。

「文化探訪 台東区ガイドブック 朝倉彫塑館を歩く」
http://taito-culture.jp/culture/asakura……

現在改装工事のため休館中の朝倉彫塑館の様子がわかります。改装工事は明治時代の建築様式を忠実に再現するために2013年1月現在4年以上の歳月がかかっています。沿道の方には2013年秋にリニューアル・オープンと告知されていますが、さらに完成が延びる可能性もあります。

「art-Link上野-谷中」
http://artlink.jp.org/

谷根千地区と上野のアートエリアを結ぶボランティアプロジェクトのホームページです。長年にわたり毎年秋に上野と谷中一帯広域でアートイベントを展開されています。このプロジェクトでは初音の道と諏訪台通りをあわせて「初音のみち」と表現されています。

「東京ダウンタウンストリート1980’s 」

http://blog.goo.ne.jp/kenmatsu_fs/…..

1980年代前半と2011年の街並みを写真で比較されているページです。初音の道は建築物の建て替えはあるものの、基本的な街並みは変わっていないことがわかります。1980年代の「寿し恵」さんの様子もわかります。

(主要参考文献)

谷中の今昔刊行会編「谷中の今昔」(非売品)

台東区史編纂専門委員会編「台東区史 通史編」(東京都台東区)

會田範治「谷中叢話」(明治書院)

地域雑誌「谷中・千駄木・根津」(谷根千工房)

酒井不二雄「東京路上細見 3 上野・御徒町・谷中・入谷・根岸」(平凡社)

班目文雄「江戸東京 街の履歴書 2 浅草・上野・谷中あたり」(原書房)

市古夏生・鈴木健一校訂「新訂 江戸名所図会5」(ちくま学芸文庫)

佐々悦久編著「大江戸古地図散歩」(新人物文庫)