日本のブックカバーについて

旅するミシン店はブックカバーを主力としているお店です。「ブックカバー」とは一体何なのかということを少し調べてみました。

日本で「ブックカバー」と言われているものには主に以下のものがあると思います。

(1)書籍の表紙に掛けられる、本のタイトルやイラスト・写真がデザインされ印刷された紙のカバー。本の「書影」となり「装丁」とも呼ばれる。出版社が本の一部として用意したもので「書籍カバー」「表紙カバー」などとも称される。業界用語だと「表4」。

(2)書店が書籍を購入したお客に無料で提供する紙のカバー。カバーには店名やイラストがデザインされている。書籍カバーの上にさらに重ねてかけることがほとんど。

(3)個人や作家がハンドメイドする主に布・革製のカバー。(2)の紙の書店カバーの布製版的なもので、これも書籍カバーの上にかけて使うことが主流です。

(1)の出版社による書籍カバーは有名デザイナーやイラストレーターの作品も多く、本やウェブでも数多く紹介されていますが、日本で書籍カバーが一般化したのは1960年代以降のようです。それ以前は表紙に直接本のタイトルや著者名とイラスト等のデザインを印刷していました。表紙カバー登場以前は表紙に半透明のグラシン紙をかけて出版社が出荷することが多かったようです。出版社によるグラシン紙カバーは今ではあまり見ませんが、古書店さんではグラシン紙がかかっている状態の古い書籍を並べていたり、保存のためにグラシン紙を書籍にかけて販売されているのを時折みかけます。

(2)の書店がかけてくれる紙カバーについては日本独自の文化で収集マニアの方もいます。「書皮友好協会」という団体があり、本も出版されています。

書店でのカバーは平たい紙をまず本の高さまで天地両面から折りこみ、さらに本の厚さに応じて左右の面を折りこんで、本にフィットするかたちをつくるのが一般的です。
『カバーをおかけしますか?』(出版ニュース社編、2004年)の作家・翻訳家の紀田順一郎さんによる寄稿によると、現状の紙のカバーが定着したのは1970年代後半で、それ以前はデパートの包装紙のように、紙で本をそのまま包むかたちが主流だったようです。書籍カバーが本と一体化しているため、日本で「ブックカバー」と言えば流通量が多い書店の紙カバーをイメージされる方が多いと思います。

書皮友好協会さんの調査によると日本以外で折りこんで本に装着する紙カバーの存在が確認できている国は韓国・中国・アメリカ・ソ連だけだそうです。上述の『カバーをおかけしますか?』の中西晴代さんの寄稿によると、植民地支配などで日本文化の影響が強かった韓国では日本のような紙カバーを書店で本にかける習慣があったのですが、韓国で文民政権が誕生した1993年に「ゴミの減量運動」が起こり、あっという間に紙カバーの習慣は廃れたとのことです。

中国の人民日報傘下のウェブメディア『人民網』の日本語版の中国人記者の方が日本の紙カバーの習慣についてまとめている2016年の記事で、日本人の本離れから紙のカバーの習慣がいずれなくなるのでは予想しています。中国では本を買った時に昭和時代のおみやげの寿司箱のように糸で本を結び上げてくれる習慣が大手の新華書店などであるのですが、中国の方から見ても日本のカバーの習慣は独自性を感じるようです。

(3)のハンドメイドの布・革のブックカバーは欧米では少なくとも19世紀前半から存在していましたが、日本でも明治時代に西洋式の書籍が登場したことにより、家庭内の裁縫仕事の一つとして布のブックカバーづくりが始まっています。

布製のハンドメイドのブックカバーは1970年代以降に家庭内裁縫仕事が衰退していったことと比例してクラフト作家の手によって制作・外販されていくようになります。

旅するミシン店で定期的に生地を仕入れている会津木綿の生産地・会津若松市では、1970年代に農作業着や日常着の素材としての会津木綿の需要が低下していき織元も少なくなっていきますが、当時「アンノン族」の登場や国鉄の「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンなどにより増えた女性旅行者向けのお土産品としての需要が生まれたことにより、会津木綿の命脈が保たれたという話を取扱い業者の方から伺いました。ブックカバーは会津木綿の布小物でも定番品となっています。

2000年代からクラフトマーケット、2010年代からはネットフリマが普及したことにより、消費者がクラフト作家から直接ハンドメイドブックカバーを買えるようになりました。旅するミシン店店長の植木ななせがはじめて自作のブックカバーを出品したのは2003年の「世田谷アートフリマ」です。

ブックカバーがなぜこれほど日本で残っているのかは諸説様々です。旅するミシン店のお客様にきいても「習慣だから」という回答が一番多いのですが、「プレゼントにしたい」「図書館の本にブックカバーをつけたい」「紙の手触りより布の手触りが好きだから」などブックカバーをお買い上げいただく理由は様々ですが、特に昭和時代から平成時代前半まで鉄道やバスなどの公共スペースの中で本を読む機会が多かったことが日本でのブックカバーの普及率に関係しているのではと感じます。

昭和時代は家も狭く、職場や地域社会での繋がりが強く、特に女性の場合、一人っきりで読書するような場所として鉄道の車内は貴重で、カーテンをかけるように本にカバーをかけることはリラックスして読書するために役立ったのではと想像します。

『婦人之友』1924年(大正13年)10月号に縫製作家の落合光子氏による『ブックカバーと手提げ袋』という寄稿記事があります。冒頭には“電車を待つ間とか、かなり長く乗る電車の中で讀みたいと思ふ本を持つて行くのに都合がよいと思つてこんなものをこしらえました”と書いてあります。昭和時代に普及した書店提供の紙製ブックカバーが鉄道列車内での読書に多用されたように、大正時代には家庭内でハンドメイドされたブックカバーは鉄道内での読書で好んで利用されたようです。

昭和時代には安価に本が大量流通していましたが、2020年代以降に円の通貨価値低下や資源価格上昇により1冊の本が価格が急上昇していますので、本を保護するという面でもブックカバーの価値は増えていると思います。

日本各地でつくられているブックカバー。2023年現在、当店だけでなくさまざまな作家さんが作っており、書店さんでの特典紙カバーも2023年現在健在ですので、ぜひお気に入りのものを手に入れてみてください。

安武輝昭(旅するミシン店・管理人)